スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

たった1枚の少年の写真

NHKスペシャルの「解かれた封印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI~」という番組を見た。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/080807.html

内容は、ジョー・オダネルというアメリカ軍のカメラマンの話である。
見どころは、彼が個人的に極秘に撮影していた原爆投下直後の写真の数々である。

まだ若かった頃、彼は真珠湾攻撃がきっかけで、日本人に対して深い憎しみを抱いていた。
それゆえ、原爆投下は、戦争を早く終わらすためにやったことだという、アメリカの言葉を信じていた。
しかし、原爆投下からわずか1ヶ月後に、軍の記録カメラマンとして、長崎にやってきた彼は、
その言葉が間違いであることを自ら確信したのだ。
戦争は終わってなんかいない、被爆者の苦しみが始まったのだ。と。

彼は被害者たちの写真をあたかも未開封フィルムであるかのように見せかけて、極秘に持ち帰り、そして自宅の屋根裏のトランクに43年間封印し続けた。
しかし、彼はこれらの写真を葬ることなく、世の中に送り出して、母国の過ちをあえて告発した。
当時一男一女をもうけて幸せな家庭を築いていたにも関わらす、それらを犠牲にしてまでも彼は、決意を翻すさなかった。

そんな彼が最後まで探していた少年の当時の写真。
焼き場に立つ少年。
まだ1歳にも満たないだろう赤ん坊を背中におんぶして、まるで敬礼しているかのように、
手足をまっすぐに伸ばして涙を飲み込むかのように唇をかみしめる少年が印象的だ。
背中で首を垂れている赤ん坊はもちろん眠っているのではない。
とっくに死んでいる。
きっと原爆で一瞬にして父母や家族を失い、弟と自分だけが生き残ったのだろう。
体力のない幼い弟を(おそらく)7歳か8歳の少年に育てられるはずもなく、ほどなくして死んでしまったんだろう。
おにいちゃんにそっくりな、眠っているかのような幼い顔が痛ましい。
どこかで生きていてほしい。。。

オダネル氏の説明では、死体を焼いてもらう順番を待っていたらしい。
写真に実際に添えられているメッセージ↓
I had never before witnessed the obvious military influence on the young until I watched this
boy bring his dead brother to a cremation site. He stood at attention, only the biting of his lower lip betraying his emotion. I wanted to go to him to comfort him, but I was afraid that if I did so, his strength would crumble.
Joseph R. O'Donnell. September 1945 

その後、この少年のことが気になって、ずいぶん探したが、ついに再会は叶うことなく、オドネル氏もまた昨年の8月10日に亡くなられた。
死因は・・・もちろん原爆の後遺症だ。
原爆投下直後の危険について何一つ知らされてなかったオダネル氏の身体は、全身が皮膚ガンを患っていた。
彼自身もまた加害国の軍人でありながら、被害者であったのだ。
しかし、アメリカは彼を原爆症とは認定しなかった。

番組の最後で、ジョー・オダネル氏の唯一の理解者で、今はその遺志を継いで活躍されている息子さんが、今年の写真展に来日されて、父が撮りたがっていたからと、子供たちが遊んでいる姿を、嬉しそうに撮っていた。

その写真には、63年前の長崎にはどこにもなかった、ちょっとはにかんだような笑顔が写っていた。



ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 

~原爆症で亡くなった詩人、峠三吉の原爆詩集より
スポンサーサイト
     

コメント

Secre

     
最近のコメント
最近の記事
リンク
検索フォーム
過去ログ
FC2カウンター

無料カウンター
QRコード
QR
RSSリンクの表示
最近のトラックバック
カテゴリー
プロフィール
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。