英霊であり
2008.04.09(Wed)
映画「靖国」のHPの監督紹介のコーナーの記事↓
http://www.yasukuni-movie.com/contents/directors.html
――なぜこの中国、そして日本にとっても生々しいテーマを選んだのですか?
という質問に
私はこの巨大な歴史的な舞台に人々の「記憶」を集中させたかったのです。
国によって「記憶」そのものが違うものだといえます。
と答えている。
確かに各国によって、自国に都合のいいように記憶を留めているだろうから、
それぞれの違う視点を知ることは、お互いの国のためになるかもしれないが、
それは、一部の某国々のことじゃないのかという気がしないでもない・・・(ーー;)
――これはどんな映画ですか?
という質問の最後で
靖国神社では、戦没者の全員を英雄だと思っています。
しかしその「英雄」たちがアジア各国にもたらした苦痛を忘れているのです。
と述べているのだが・・・これは、違いますよね。
私たちが、靖国にお祀りされている魂を英雄と感じたことはないと思います。
彼らは、「英霊」です。
英霊の意味は、単に戦没者。
自らの命を犠牲にしてまでも、この国を守ってくれたことに対して、
私たちは、感謝と畏敬の気持ちで、靖国にお参りしているのではないでしょうか。
英語でのヒーロー的な意味での英雄の観念は、私達日本人にはありません。
このあたりの日本人の繊細な心情を、彼は、この10年間の在日の生活の中で、
どれほど感じ取ることができたのでしょうか。
そして最後の天皇を「面子」だとする考え方だが、その一言では簡単に表せない、
やはり私達日本人独特の天皇に対する思いがあると思います。
以下は、敗戦直後、マッカーサーを訪問したときの様子であるが、
まさに自分の首を引っさげて、国民の命乞いをしに行ったことは、感動を覚える。
いろんな書物にも記事になっていますが、わかりやすい記事を見つけたのでご紹介↓
http://www5a.biglobe.ne.jp/~t-senoo/Sensou/kaiken/sub_kaiken.html
と何のかんの言っても映画を観ない事にはお話にならないんだけど、こちらはやってないしね(ーー;)
http://www.yasukuni-movie.com/contents/directors.html
――なぜこの中国、そして日本にとっても生々しいテーマを選んだのですか?
という質問に
私はこの巨大な歴史的な舞台に人々の「記憶」を集中させたかったのです。
国によって「記憶」そのものが違うものだといえます。
と答えている。
確かに各国によって、自国に都合のいいように記憶を留めているだろうから、
それぞれの違う視点を知ることは、お互いの国のためになるかもしれないが、
それは、一部の某国々のことじゃないのかという気がしないでもない・・・(ーー;)
――これはどんな映画ですか?
という質問の最後で
靖国神社では、戦没者の全員を英雄だと思っています。
しかしその「英雄」たちがアジア各国にもたらした苦痛を忘れているのです。
と述べているのだが・・・これは、違いますよね。
私たちが、靖国にお祀りされている魂を英雄と感じたことはないと思います。
彼らは、「英霊」です。
英霊の意味は、単に戦没者。
自らの命を犠牲にしてまでも、この国を守ってくれたことに対して、
私たちは、感謝と畏敬の気持ちで、靖国にお参りしているのではないでしょうか。
英語でのヒーロー的な意味での英雄の観念は、私達日本人にはありません。
このあたりの日本人の繊細な心情を、彼は、この10年間の在日の生活の中で、
どれほど感じ取ることができたのでしょうか。
そして最後の天皇を「面子」だとする考え方だが、その一言では簡単に表せない、
やはり私達日本人独特の天皇に対する思いがあると思います。
以下は、敗戦直後、マッカーサーを訪問したときの様子であるが、
まさに自分の首を引っさげて、国民の命乞いをしに行ったことは、感動を覚える。
いろんな書物にも記事になっていますが、わかりやすい記事を見つけたのでご紹介↓
http://www5a.biglobe.ne.jp/~t-senoo/Sensou/kaiken/sub_kaiken.html
と何のかんの言っても映画を観ない事にはお話にならないんだけど、こちらはやってないしね(ーー;)
スポンサーサイト